Monday, December 6, 2010
今日の一言@香港: The growing influence of the mainland is inevitable.
英字新聞のSouth China Morning Postに、今朝、目を通していたら、「世界各地のチャイナタウンでマイノリティーになりつつある広東語」という記事がありました。最近、ロンドンのチャイナタウンの中華レストランでは、中国本土標準語(普通語:Putonghua)しか話さない人ばかりが目立つ、というもの。メニューの漢字まで簡体字になっている、と香港人は驚いたということです。一昔前までは、圧倒的に香港を含む広東省出身の広東語と広東料理が、海外チャイナタウンの「中国語」と「味」であったのに、今ではどんどん減っているとか。
そういえば、ニューヨークもマンハッタンのチャイナタウンでは広東語が主流ですが、クイーンズで10年くらい前から大きくなった新チャイナタウンは普通語であったことを思い出しました。
ロンドンは、英国領であった香港とその周辺からの移民が主流だった時代が長かったでしょうから、この変化は香港人には心理的に大きいだろうと想像できます。こんなところにも中国本土からの変化の波が押し寄せているのか。。。
香港では、今、大金持ちの中国本土の人が買占めて不動産価格をつりあげ、学校でも普通語での教育が始まるといった変化の中で、香港人はそのアイデンティティに敏感になっているように思えます。私も2005年に初めて来た時より、町で普通語を話す人をよく見かけるようになった気がしています。
日本ほどではないですが、香港は少子化が進んでいます。一方、中国本土から子供を産みにくる中国女性は増え続ける。。。香港パスポートを子供に与えたいのです。香港の病院では、その制限を始めたと聞きます。確かに、これはちょっとした脅威ともいえるかもしれない。
今日お昼に食べた鵝髀瀬、ここの焼鵝は自家製秘伝の味です。中途半端な美味しさではないんです、これ。凍奶茶(アイス・ミルクティー)と典型的な香港式ランチで43ドル(458円)。北京ダックよりずっと美味しく、こんな安いものが香港からなくなったら、どうしよう。
すでに海外チャイナタウンのレストランでは、広東語と普通語の逆転が起こっているという記事で、考えてしまいました。日本人の私にはよくわかりませんが、なんか、がんばれ、広東語!広東料理!といいたくなるような、一日でした。
Friday, December 3, 2010
今日の一言@深セン: I told you so.
だから、言ったでしょう!
これは禁句にしよう、と私は決めています。が、もちろん、頭の中では何度ダーリンにつぶやいたことでしょう。
2006年に「中国に行くぞ~」と言い出してから、ダーリンは本当に仕事辞めて2008年に来てしまいました。言葉もわからず、私のように漢字のおかげで地図やメニューくらいは読めるわけでもなく、人脈もなく、あなたどうするの?という素朴な疑問を全く気にせず、それから2年、まあ、いろいろありました。最初に中国語を少しでも勉強したらいいのでは?と私は言ったのですが。
そして先週、「僕、中国語の集中講座に行く」と言い出し、深センの学校に1ヶ月だけ行ってみることになりました。
そうよね、だから言ってでしょう、が口からでそうなのを押さえて、That’s great!
そうです、豚もおだてりゃ木に登る、ああ、ダーリン、早く木に登ってね。
先週は私も深センで、ひさしぶりに湖南料理レストランに行きました。豚バラ肉を肉まんのように白い包に挟んで食べる(右)、鴨肉の唐辛子和えをこれも茶色っぽいパンみたいな皮に包んで食べる(左)と似たものになってしまいました。ここは英語メニューがないので、私がオーダーしました。が、漢字をみて、豚肉か鴨肉かはすぐにわかりますが、どうゆう調理なのかは私にはさっぱりわかりません。中国語しかできないウエートレスに聞いても、全くわかるわけがない。というわけで、料理が出てこないと、どうゆうものかわからないスリルがあります。
ダーリンはEveryday is an adventureとか言って楽しんでいます。「来年はこのメニューで注文できるように、がんばってね~」と言ってみたものの、彼には漢字は無理かな。せめてウエートレスと会話をしてもらって、私の漢字力と彼の会話力でばっちりの注文、という夢を描くことにいたします。
Saturday, November 20, 2010
今日の一言@香港: A real professional transcends every boundary.
昨晩、11月19日夜、香港における「坂東玉三郎日中版崑劇、牡丹亭」の初日公演に行きました。つい最近までの東京公演を終えて、香港ではこの週末に3公演のみがあります。私が1ヶ月前に券を買おうとしたときは、ほぼ完売でした。なんとか少し中央を外れた席をゲットし、とても楽しみにしていました。
牡丹亭は明時代に書かれた伝統的中国戯曲の代表作。非常に長い作品で、全部やったら一週間以上はかかるというものですが、通常、その中の数シーンが公演されます。玉三郎さんが監督、主演をした今回の公演は7シーンからなり、公演時間はほぼ3時間(休憩2回含む)に及び、1シーンを除いて彼は出ずっぱりでした。牡丹亭のヒロイン、杜麗娘は16歳、それを60歳になる玉三郎さんがすべて中国語で演じたわけです。そして、せりふだけではなく、非常に中国的なメロディーで歌がはいり、Chinese operaといわれる所以ですが、これは歌舞伎の女形での実績に加えて相当な訓練が必要であったことでしょう。
結論から言って、感動!日本人として、涙がでるくらいの誇りを感じさせてくれました。
まず、全ての限界、全ての垣根を乗り越えた、素晴らしい挑戦という点に感動させられます。そして、当然、妖艶な美女を演じきり、そのオーラに会場が包まれていくことに感動します。3時間後の幕が下りると、香港の観衆は大歓声、大喝采、スタンディングオベーションで3回のカーテンコールとなりました。
実は、私は初めの2シーンでは、どうも玉三郎さんの日本舞踊的な動きがゆったり、もったりして、崑劇の役者の動きの中で浮き上がっているような気がしました。うまくブレンドするのかあ、いっそのこと着物で登場してビックリさせたほうが面白かったかな、という不謹慎な印象を持ちました。が、3シーン目で、話の展開が変わって杜麗娘が恋に悩んで病気になるあたりから、歌舞伎的な微妙な首の曲げ方と肩や腰の動き、アンニュイな動きが、なんだかすごい迫力になり、圧倒的なオーラを出し始めました。そこからは、もう、ぐいぐい、玉三郎の世界に引き込まれたといえましょう。
文化革命の影響で、中国戯曲では女形が廃止になってしまったそうで、玉三郎さんは昔の伝統的な崑劇を復活させるため、若手女形の育成にも力を注いでいるそうです。牡丹亭は、上海の万博をはじめ、中国で公演をしてきたわけですが、玉三郎さんは自分の出演料をとらないそうで、それも伝統的中国戯曲の復活への支援のひとつだということです。素晴らしい日中文化貢献で、これにも大拍手です。
Wednesday, November 3, 2010
今日の一言@香港:How do we get there?
10月15日からまた香港と深センに来ています。あっという間に11月となり、今年もまた残りが少なくなりました。こちらは日本の春のように過ごしやすい冬です。いろいろありましたが、この春からひとまずダーリンの仕事も香港ベースになり、私もしばらくここに片足、ニューヨークにも片足、渡り鳥です。
冬の香港は湿度も下がり、からっとしたお天気の続くので、乗り物に乗ってあちこちに行くのに最適です。街中をごとごとと走るダブルデッカーの路面電車は、庶民の足です。私もこれが大好きで、時間があればこれにのってゆっくり移動します。どこまでいっても2ドル(約25円)。時間的には地下鉄のほうが早いわけですが、ごとごとと、2階席に座ってゆっくり周りの景色を楽しむのもいいものです。
先日、ランタオ島にある大仏を見に行きました。香港空港やディズニーランドがある島ですが、島の反対側は自然が豊かです。大仏に向かうルートには、360度視界が売り物のロープウエーがあります。何が360度かというと床がガラスなので、上下、右左をガラス越しに景色が楽しめるということです。高所恐怖症ぎみの私にとっては、多少ドキドキでありました。
香港は陸、海、山でいろいろ楽しめる土地柄です。何に乗ってどうやって行くかも楽しみです。
Monday, October 11, 2010
今日の一言@ニューヨーク: Who was the first woman awarded the Pulitzer Prize for fiction?
ニューヨークもすっかり秋らしくなり、郊外のほうは紅葉もちらほらという季節となりました。先週末は、コネチカット州の友人宅に行ってきました。一日は、車で40分ほど走ってマサチューセッツ州のLenoxという町近くにあるThe Mountと呼ばれるお屋敷に行きました。
ここは作家、Edith Wharton(1862~1937年)が自分で設計からインテリアまで丹精込めて建てた広大なお屋敷です。今は記念館となっていて、彼女の住んだ時代のインテリアの復元をし、いくつかの作品についての展示があります。
Whartonといえば、The Age of Innocenceという映画で名前を知っているくらいでしたが、40以上の作品を残しています。彼女はThe Age of Innocenceで、女性として初めてピュリツァー賞(フィクション部門)を受賞しました。展示の中には、マーティン・スコセッシ監督によるこの映画で、アーチャーを演じたダニエル・デイ・ルイスが使った手袋などもありました。(写真)
The Mountは当時の文化人の集うサロンにもなっていたそうで、ヘンリー・ジェームスも友人のひとりであったとか。しかし、Whartonの私生活では幸せな結婚とは言えず、ついに1911年に離婚を経て、The Mountも人手に渡ります。それからWhartonはフランスにひとりで渡り、創作活動を続ける傍ら、第1次世界大戦による難民を助ける慈善活動に励みます。そしてフランスではそうした慈善活動に対してレジオンドヌール勲章を授与されます。最後までフランスに住み、フランスを永住の地としました。何をやっても中途半場でないところがすごい女性です。
庭園を歩きながら、その時代に思いを馳せ、秋の風を感じる季節の素敵な午後を楽しみました。
Monday, September 20, 2010
今日の一言@ニューヨーク: ) Why emoticons are so different?
あっという間に9月も中旬となりました。光陰矢のごとし、最近は一日が妙に早く過ぎていきます。
今年も9.11の夜は、二本の光りが空に向かって輝きました。私もあの日、自分のアパートの窓からビルの崩壊を目撃し、荷物を抱えて避難したので、南の空を見上げると、今でも涙を誘われます。:’(
この日にも、イスラム文化センター建設反対デモがありました。:-(
しかも、オランダからイスラム化反対主張を繰り広げたきた政治家が招かれてスピーチをしていました。全く信じられません。:-o
さて、文章の終わりにあるマーク、間違い?文字化け? ではありません。ちょっと昔ながらの「顔文字・絵文字」(Emoticons)を使ってみたんです。「昔ながら」といったのは、HTMLメールがなく、コロンなどのテキスト文字しか使えないコンピューター時代に創作されたものだからです。次のものはアメリカで使われるもので、時計回りに90度回転させると顔の表情にみえます。(または頭を左に90度傾けてみてください)
:) スマイル
;) ウインク
:’( 悲しい、泣けてくる
:-( 怒ってるぞ
:-o ビックリ
絵文字にもお国柄があるといいましょうか、違うところが興味深いです。日本のEmoticonsは複雑にコロンやセミコロン、括弧などを組合わせてそのまま表情としてわかるので優れものだと思います。(ただし、日本人にしかわからないものばかりですが) それに、日本人に苦笑とか、謝罪とか、アメリカにはないEmoticonsがあるのもユニークです。日本語と英語が違うように、絵文字も文化的な違いを反映していると思ったわけです。
Emoticonsを創作したのはアメリカ人なのに、そのわりに最近は利用度が高くなく、アニメのものは普及していません。その代わり、携帯用英語短縮綴りは増え続けています。
例えば、RUOK? PCM 2moro g2g
さて、これはどうゆう文章の短縮形でしょうか。
感情豊かなコミュニケーションより、合理的なメッセージ交信が好まれるのか。秋の夜長にふと疑問が浮かんできました。
Wednesday, August 25, 2010
今日の一言@ニューヨーク: Which side of the controversy are you with?
こちらでは、グランド・ゼロ近くにモスクとコミュニティーセンターを建設する計画を巡って、大きな議論が毎日メディアを賑やかしています。政治問題化してきたといえましょう。
トライベッカに住んでいるので、この建設予定地を見てきました。確かにグランド・ゼロから2ブロック北、Park Placeというストリートにありました。(写真の白いビルを壊して、大きなビルを建てるそうです) 今日は、宗教の自由を守れという計画支持プラカードを持つ数名が、ビルの前に静かに立っていました。
ブルームバーグNY市長は、宗教の自由は憲法で保障されているものであり、センター建設計画変更の必要なし、譲歩をすること自体がおかしいと主張。パターソンNY州知事の建設場所移転交渉案にも反対しています。一方、センター建設反対の人の言い分の多くは、9.11犠牲者とその家族の感情に配慮しない無神経な計画だ、と主張します。
冷静に考えると、「無神経」を持ち出して感情論をするほうが危ないような気がします。イスラム=テロリスト、と言っているように聞こえます。
これが、キリスト教の教会・コミュニティーセンター建設計画だったら、9.11テロとの関連で感情的問題がないから反対運動はないのでしょうか。一方、かりに、テロリストがイスラム教過激派ではなく、キリスト教過激派だったとしたら、同じように反対運動があるのでしょうか。疑問です。
いくらツインタワーを攻撃したテロリストがイスラム教過激派だったとしても、テロリストと普通のイスラム教徒は別物だと考えるべきだと私は思います。それに、もともと、この付近には2002年に借用リースが切れるまでモスクがあり、そこのイスラム教徒のアメリカ人らは全くテロとは関係なかったわけです。さらに、今回のモスクとセンター建設の主導者らは、アメリカのイスラム教穏健派といわれます。
アメリカの冷静な判断が、今回のこの感情論を凌駕してくれることを祈ります。
Sunday, August 22, 2010
今日の一言@ニューヨーク: Vacation is over…
数日前にニューヨークに戻ってきました。バカンスで8月中休業の多いパリに比べると、ニューヨークは年中無休で、不景気から抜けなせない中でもニューヨーカーはいつものように忙しそうに町に溢れています。
アメリカでは9月初旬の新学期まであと一週間。私の長い休暇も終わりを告げ、仕事しなくちゃ。
さて、休暇の最後の週(9~13日)は、パリに住む日本人の友人と一緒にイタリア中部に旅行をしました。ローマに飛んでレンタカーをして、エトルリア人の遺跡を見て回るという旅でした。まず、温泉のでるSaturniaに向かい、ここでひと風呂。ここは自然の中に湧き出て、渓谷に石灰分が固まって階段のように独特の天然温泉場を形成していました。写真(左)のようにイモ洗い状態の混雑だったので、私たちは上流の静かな場所を見つけて、川温泉を楽しみました。このへんは、すべて自然の中にあるので土地は周囲の町の所有のようですが、入場料などはなく、誰でも無料ではいれます。
それから、Savona、Sorano、Pitigliano(写真中央)という中規模の城塞の町を回りました。Savona周辺には多くのエトルリア人のネクロポリス(お墓)遺跡があります。一部は公開しており、半日がかりで遺跡散策をしました。そして、非常に美しい城塞の町、Orivietoへと向かいました。Orivietoワイン(通常は白)でも有名ですが、ここのDuomo(大聖堂)は見物です。(写真右)
そのあと、Viterbo、Toscaniaという小さな町を見て回って、エトルリア期のネクロポリスとしては最大級のTarquinia(タルクイーニア)とCerveteri(チェルヴェーテリ)でエトルリア期のネクロポリス遺跡群を見ました。前者のほうは、墓内部の壁画で有名な遺跡です。
ローマ帝国以前、紀元前9~3世紀に栄えたエトルリア文明。ギリシア陶器やエジプト装飾品も遺跡からでており、すでに地中海交易が盛んであったことがうかがわれます。エトルリア人はインド・ヨーロッパ言語系以外の言語を持っていたといわれ、どうゆう民族だったのか、今でもまだ謎に包まれています。
イタリアは観光書にもでてこないような小さな村や町でも美しいところが多く、お料理は美味しく、温泉もあれば、遺跡もある・・・熟女ふたりの珍道中は、地図を片手に気の向くままに、その日その日に行く場所を決める、というもの。オートマしか運転できない私は、マニュアル車の運転を彼女に任せ、ナビ専門。しかし、中国で鍛えた交渉力で、ホテルやB&Bとの値下げ交渉は私の担当となりました。自分たちだけの手作りの旅、100点満点の旅でした。
Sunday, August 8, 2010
今日の一言@パリ~ブルゴーニュ: I don’t believe in such proverbs.
ある人は「2度あることは3度ある」と言い、ある人は「3度目の正直」とも言うでしょう、なんていいました。でも、そんなこと、信じません!私は2度目で祈願成就させるのだ、と思っていました。
そんな大げさな話ではありません。が、10年目にしてやっとブルゴーニュに再訪が可能となりました。今回の旅行の大目玉は、友人夫婦と一緒にこのブルゴーニュの田舎にあるミシュラン3つ星のレストラン、「ラ・メロワーズ」を訪問することでした。実は、10年前、私とダーリンはこのレストランを目指し、ブルゴーニュに行ったのですが、私は体調をくずし、レストランに着くと熱と腹痛で何も食べらず、泣く泣く20分ほどでホテルに引き揚げたという悲しく、口惜しい思い出があったのです。
10年目にして、2回目の挑戦。今回は体調を整え、万全のコンディションで向かったのでありました。
4人でシェフお勧めメニューをとりました。少量づつではありますが、前菜3点、主菜2点、チーズ、デザートと続きました。すべて完璧なお味、サービス満点、最高の夕食でした。
前菜は、トマトスープとフォアグラ春巻き風と野菜クリーム煮の3点盛り皿、そして蟹とえびのサラダ、オマール海老と何種類かの野菜を組合わせて層にした冷菜。主菜のお魚は、スズキのソテーのキノコ添え、そしてお肉はラムのワインソース。実はお肉はお勧めメニューではハトだったのですが、私はどうも心情的に食べたくないので、ひとりだけラムに変えてもらいました。ハトも非常に美味しかったそうです。お勧めメニューはテーブル全員で注文しないといけないのですが、苦手なもの、食べられないものは別のものに代えてもらえるという気配りです。
お勧めメニューには、さらに、Amuse Bouche(先付けのようなもの)と前菜と主菜の間には口直しのサッパリ冷菜があり、デザートのあとには自家製チョコやクッキー、フルーツジェリーなどのお皿がやってきました。女性にはかなり大量メニューなのですが、私は問題なくたいらげました。
高級フランス料理レストランでは、伝統的に、男性が受け取るメニューに金額が入っているのみで、女性にみせるメニューには一切金額が入っていません。私たちのテーブルにきたメニューも、女性ふたりには金額無しのものでした。うちのテーブルの殿方らがいうには、「10年に一度くらいの贅沢と思えば、ちょうどいいよ。」
なるほど、これなら、2度あることは、3度ある、でもいいかな。
Tuesday, August 3, 2010
今日の一言@パリ~ブルゴーニュ: Let’s take a train to visit Burgundy.
週末2泊で、パリから電車に乗ってブルゴーニュに行ってきました。ブルゴーニュはBourgogne地方のフランス語読みで、日本ではこちらのほうがよく使われています。が、英語だとバーガンディ(Burgundy)で、同じ地方のことをいいます。
ブルゴーニュ地方は、おおざっばにいうとディジョンからリヨンにかけて、ソーヌ川に沿った南北に伸びた地域をいいます。ご存知のように、ボルドーと並ぶワインの大産地で、北は白ワインで有名なシャブリ地区にはじまり、赤ワインでは最高級のロマネ・コンティから一般的なボジョレーまで数多くの著名なワイン種を生産しています。本来は、2週間くらいかけて、車でワインの道(Route de vin)をまわるのが楽しいのですが。。。
今回の週末旅行は、友人家族とボーヌ(Beaune)という町で会うことを目的としていたので、ワインの道はパスでした。それで、パリから鉄道利用で行くことにしました。パリ~ディジョンはフランスの誇るTGV(新幹線を真似た?ような高速電車)で1時間半、そこから目的地のボーヌまでローカル電車で30分。パリ発10時半、ボーヌ着12:40という快適な旅です。
ボーヌには10年ほど前に来ているので、ホスピスなどの観光名所は飛ばして、着いた日は、ボーヌの町にあるワイン商のカーブ(地下保存庫)の見学と試飲会をしました。18世紀から使っているカーブは、ひやっと湿っぽく、冷たい空気です。9ユーロほど入場料がいりますが、5種類の扱いワインが飲めますので、まあ、ほんのりと気分よくなります。
夜、夕食を終えて町を歩くと、建物それぞれにまつわる物語風のライトアップショーが数箇所で10分おきくらいに繰り広げられていました。これは、一見の価値あり。
写真はそのライト映像の変化をとらえたものですが、動画でみると迫力あります。
ボーヌのライトアップ (Lumière ! à Beaune)のYouTube映像:
http://www.youtube.com/watch?v=7g9Cy0rBpmQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=W3klyCCCym4
次の日は友人家族とランデブー。マスタード工場見学と、そして、目的のレストランへと向かいました。
Wednesday, July 28, 2010
今日の一言@パリ: Who stole “love padlocks” on the Pont des Arts?
数日前からパリにいます。ここは酷暑とは関係のない世界で、日中でも暑くても26度、朝夕は20度をきって快適です。フランスの7月末といえばバカンスの季節の開始となります。パン屋さん、お肉屋さん、八百屋などの個人商店や多くのレストランは、今週から8月半ば、または8月いっぱい休業となります。ただ、パン屋さんは、近所の数軒が毎年、休業時期をずらして、住民がパン欠乏生活にならないようにする制度があります。スーパーはもちろんお休みなしです。
街を歩くと、地元の人は皆、Bonnes vacances!と挨拶をして別れています。これからパリに残るのは、旅行者と何かの理由でバカンスに行けない(行かない)人たちになります。でも、この時期、静かなパリが私は好きです。
そんなパリの夏でも、セーヌ河畔ではパリ・プラージュ(Paris Plages)が賑やかです。Plagesとはフランス語で「海岸」のことで、パリのど真ん中にビーチ感覚で楽しむ場所を作ろうというパリ市の企画です。今年で9回目となるそうです。ゲームやらコンサート、バーなどがあり、人々は備え付けのハンモックやビーチ用椅子でリラックスしています。やはり旅行者が多く、いろんな国の言葉が飛び交います。
さて、セーヌ川にかかる橋のひとつ、ポンデザール(Pont des Arts)を歩くと、橋のフェンスには数多くの南京錠が目立ちます。この1年ほどで急増した「愛の鍵」(仏・cadenas d'amour :英・love padlocks)なのです。2000個以上にもなった今年の5月には、パリ市が撤去を宣言しました。その直後には、何者かの手によって一斉になくなったそうですが、パリ市はその撤去を否定。それでは誰の仕業か? 謎を残したままです。
それから2ヶ月半で、また多くの恋する若者らによって鍵は着々と増えていました。
Tuesday, July 20, 2010
今日の一言@ニューヨーク: A heat wave continues in New York.
七夕の夜から、ニューヨークに戻ってきて、3ヶ月ぶりに住民気分の生活をしています。
日本も猛暑のようですが、こちらも毎日、うだるような暑さです。ただ、摂氏35度なんていう日でも、朝と夜は多少気温が下がってくれるのが救いです。それに、湿度が高いとはいっても、香港や深センの90%以上と比べれば、60%や40%なんて清々しく感じるのであります。夜は冷房を消して窓でも開けて夕涼みでも、なんてことを言っているのは私くらいで、ニューヨーカーは、ガンガン強い冷房を好んでいるようです。
この暑さの中、買い物途中に通る道、ビルの壁に昔から生えている木が、緑の葉を茂らせています。冬にはすっかり葉が落ちていたのに、また夏を迎えて葉をつけて背丈も去年より少し高くなっていました。いつまでこの木が、ひっそりと気づかれずに生き延びてくれるか。
しかし、ニューヨークには、いろんな行事や誘惑があって忙しい。。。
ブロードウエーを久しぶりに観ようか、野外パークの映画もいいし、お、メトロポリタン美術館ではピカソ展だし、MOMAではマティス展が始まった。。。それに、街のあちこちでは、大型セールもやっている。。。
暑い暑い、と言いながら、なんだかあっという間に2週間が経ち、気づいてみるとお財布が軽くなってもいました。
Monday, July 5, 2010
今日の一言@深セン: What’s the fuss about this movie?
アカデミー賞ドキュメンタリー部門賞を獲得したThe Cove、やっと日本の映画館で封切りとなったとニュースを見ました。なんで封切までに時間がかかったのか、海外から傍観すると???、疑問です。保守系団体が「反日だ」とか映画館に抗議をしたり、取材された町が上映に異議を唱えたり、という話を読みました。
しかし、日本で日本人だけが見られない環境を作っても、もう手遅れ。「イルカに残酷な日本」というイメージがあちこちでできちゃってから、日本の中で騒いだって、もう完全にアウトです。
中国の深センの海賊版DVDショップでさえ、すでにアカデミー賞発表後にすぐに売られていました。私は7元(100円くらい)で買って、見たんですが、大騒ぎするような内容ではりません。取材に正々堂々と持論をきちんと説明しなかった町と漁業関係者が、すごく悪いことをしているように描かれてしまったのは、仕方ないことです。きちんと英語で説明、反論すれば、ここまでセンセーショナルに、面白おかしく描くネタにはならなかったでしょうに。相手の通訳だけを通して描かれるので、これは仕方ない結果です。
むしろ、私が映画の見せ所だと思ったのは、昔、フリッパーの調教師だったというオバリー氏が、贖罪の念にかられているような、イルカを一頭でも救いたいという恩返しをしているのかと思わせるような、そんな切ない表情と彼の想いでした。
世界の大きな変化の中で、うまく自国をPRしないとどんどん変な国になってしまいます。フカヒレを大量消費する中国でさえ、フカヒレを食べないキャンペーンを堂々と支持し、海外アピールに余念がありません。日本はもう鎖国時代には戻れません。一部保守系団体の人も、目を開いて、今の世界を見つめて欲しいものです。
Saturday, June 26, 2010
今日の一言@深セン: Yuck!! It’s so gross!
日本は梅雨の真っ最中でありましょうが、深センも香港も雨季です。今日は、朝から大雨、ほとんどスコールです。そして、その湿度なるや、言語同断。ほとんど100%の状態です。
一週間ぶりにやってきた深センのアパートでは、大変なことが。靴箱を開けて「うわ~、気持ち悪い!」、キッチンの引出しを開けて、「ゲー、げろげろ、最低!」と叫び声を挙げてしまいました。
私の革製サンダルが緑のカビで、覆われていました。キッチンでは、木製のおしゃもじ、箸、それにまな板まで、緑や黒いカビが、べっとりと成長していました。
たった一週間なのに、こんな気持ち悪い状態にどうしてなったわけ? ゴム手袋をはめて、消毒洗剤でサンダルを拭くと、一応、カビはとれたのですが(右側)、履く気がしません。買ったばかりなのに、どうしよう。。。
2年ほどまえに家具屋さんで、殺菌・紫外線投射型靴箱(クロゼット)が売っており、笑っていたのですが、こりゃ笑いごとではないのです。靴まで完全に一週間でカビてこういう靴箱、成金向け必需品となる隠れたヒット商品となるかもしれません。
Tuesday, June 22, 2010
今日の一言@香港: Ah, simply divine…
美味しいという形容詞では表せない、あらゆるものを超えた完璧な中華のお味でした。しばらく前になりますが、中華料理分野で唯一、ミシュラン三ツ星を獲得した広東料理レストランに行きました。香港島のフォーシーズンホテルの中にあります。
広東料理定番のフカヒレスープや鮑料理などもありますが、創作料理系の品に挑戦してみました。ダーリンとふたりだというのに、いろいろと味見したいということで、次のように多くの品をオーダーしました。中華の一品は数名でシェアする量ですから、心配したウエイターが通常の半分の量でオーダーできる品もあるので、よろしければ半分にしましょう、と提案してくれました。(お値段もほぼ半分にしてくれました)
三ツ星のサービス、さすが、しっかりしています。
前菜
* ウナギの柑橘系ソース和え (グリル焼のあとにソースをからめてソテーか、皮はカリッとして食べられるし、オレンジ系のソースと最高のハーモニーです)
* 蟹と百合の根の蒸しフライ (半分量:お団子状になっていて、酸味のあるソースか香辛料入り塩のどちらかにつけて食べます)
主菜
* 鴨のロースト (半分量:香港でよくみる焼鴨ですが、お肉の柔らかさと皮のパリパリ感、ソースのまろやかさ。。。もう普通のお店の焼鴨には満足できないなあ、と溜息)
* 日本の黒豚と小豆製春巻き揚げ (半分量: 黒豚と小豆ペーストを小豆製の春巻き状の皮に包んで揚げてあって、これを蒸した饅頭に包んで食べるのですが、この世のものとは思えない美味しさです)
* 蟹肉とキャビアのオムレツ (オムレツの玉子がフワフワと口の中でとろけ、蟹肉の触感と蟹のお汁のお味が口のなかに広がり、プチプチっとキャビアが弾けます)
野菜
* 南瓜とキノコ蒸し (南瓜の中には、薄味で軽くソテーされた10種類以上のキノコが入って蒸しあがっています)
* ミニ白菜の枸杞子入りあっさり煮
デザート
* カスタード・パイ (半分量: 伝統的な味というのでしょうか、カスタードがしっとり、クリームのいいお味、それがサクサクのパイで絶妙です)
お酒は飲まずに、ジャスミン系のお茶、その名はHappy Togetherをいただきました。工芸茶というのでしょうか、お湯の中でお花が開くというものです。
食べ切れなかったオムレツ、野菜、デザートはお持ち帰りにしてくれました。ハッピーな私たち、お勘定のほうはいうと。。。はい、ふたりで2万円ほどでした。たまには贅沢して気持ちを豊かにしなくちゃ。
でも、フランスの三ツ星だったらこの倍以上のお値段でしょう。
Thursday, June 17, 2010
今日の一言@深セン: The origin can be traced back to China.
6月16日(水)は、端午節で香港も深センも祭日でした。え、端午節って、「端午の節句」のこと? 調べてみると、中国の端午節とは、日本の端午の節句は似て非なるものであります。
日本は明治維新後に新暦で5月5日となりましたが、中国では昔からの祭日や伝統的行事は旧暦を使っており、今年は6月16日が5月5日でした。ちなみに、中国本土では共産国となってからは文化的なものは長いこと廃止されていましたが、この10年ほどは中国古来の文化・伝統が見直され、2008年から端午節も国民の祝日の扱いとなったそうです。香港では中断なく、祝日として続いてきたようです。
さて、端午節は、紀元前「楚」の政治家だった屈原の死を記念する日といわれます。この日にはちまき(粽)を食べ、龍船(dragon boat)による競争レースが各地で行われます。そのルーツについては、いくつか説があるようです。有力なのは屈原の悲話にあるといわれます。屈原は失脚して川に身投げをしたのですが、楚の国民には人望が厚く、彼を悼んで川にご飯を投げたそうです。しかし、川の中で魚がそれを食べてしまうので、人々は竹皮などにご飯を包んで魚の餌にならない工夫をしました。それが粽のルーツとか。さらに、身投げした屈原を探してみんなが船を出したという話が、現在のドラゴンボートレースのルーツ、という説があります。
端午節の粽は、深センのジャスコにもありました!(写真) 香港でもこの数週間、あちこちのお店やレストランで独自の端午節の粽として販売されていました。もちろん、通常から粽を売っているお店もたくさんあります。ドラゴンボートレースのほうは、13日に香港島のある入り江でやっているのを見に行ってきました。(写真)
ところで、日本の端午の節句は、旧暦の5月にもともと日本にあった全く別物である風習と結びついて、奈良時代に中国名の「端午」が採用された模様です。男の子の節句となるのは、鎌倉時代だとか。そのころから、粽も端午の節句に食べる習慣となったようです。
日本はその昔、中国から漢字と文化を大量輸入したとは知ってましたが、日本のものだと思ってた行事などもルーツは中国にあったのか、と驚くことがよくある今日この頃です。
Wednesday, June 9, 2010
今日の一言@香港: A girls’ night out was a blast!
昨晩は、香港在住の友人とひさしぶりに女同士で、かしましく、めちゃ楽しい香港の夜を満喫いたしました。夜の計画は、すっかり彼女に頼ってしまいましたが、まず早めの夕食をしてから、映画「のだめカンタービレ」を鑑賞。それからお茶でまたおしゃべり。
夕食はパリでフランス料理修行をされた日本人女性オーナーシェフのお店でした。フィージョン系日本食と西洋風日本食の幅広いメニューを提供しています。私たちはオリジナル串焼、サラダ、ハンバーグとパスタなどをシェアして、ビールで乾杯。写真がうまく撮れませんでしたが、串焼き3種類はオリジナルで、写真の大阪風豚肉つみれの串焼きは特に絶品でした。
シェフの方が食事後の席にお挨拶に来てくれて、「のだめカンタービレ」にでてくるパリの風景のお話などでまた盛り上がりました。フランスのミシュラン星付きレストランなどでは、シェフが客席によくご挨拶にきますが、パリで修行した彼女もそんな習慣を踏襲しているのかな、と思わせる場面でした。
さて、浦島太郎の私はこの映画のことを全くなにも知らず、原作がロマンティックコメディー漫画であるということだけで、先入観なしに鑑賞しました。かわいい、おもろい、へえ、こりゃ漫画そのものの映画だ、という第一印象でありましたが、美しいクラシック音楽を漫画仕立てのストーリーの中で気軽に楽しめるのも若い人にはいいなあ、というものです。今日になってググッたら、ピアノ演奏はすべてラン・ランでした。あ、だから映画の中でポスターがでてきたのね、と納得。
私にとって非常に興味深かったことは、香港人の観衆の反応です。映画館は、若いカップルや女の子でほぼ満員でした。漫画チックな動作とアニメグラフィックで、おとぼけ奇才「のだめちゃん」とエクセントリックな登場人物らが笑いを誘う場面は多いですが、大きな笑いの渦が劇場を何度も飲込み、観衆の一体感が伝わってきました。きっと、広東語バージョンの原本も人気なんだと思います。
女同士の夜もいいなあ。昔、シンディ・ローパーがGirls Wanna Have Funというヒット曲を歌っていましたが、頭の中では今日もこのメロディーが流れています。
Monday, June 7, 2010
今日の一言@香港: I’m getting hooked on Chinese tea.
香港に戻って、あっという間に10日以上経ってしまった。。。毎日、なんでこんなに早く時間が経つのでしょう。少し、香港を楽しまなくちゃ、と思って、香港政府観光局が外国人観光客向けに実施しているプログラムに参加することにしました。いくつかのクラスやツアーが無料で楽しめます。クラスとしては、例えば、「漢方を知る」、「翡翠や真珠など宝石を知る」、「中国のお菓子作り体験クラス」、そして「中国茶と茶文化を知る」、といったようなものがあります。それぞれの分野の会社がスポンサーでクラスを提供しており、企業PRにもなるわけです。また、奥劇(広東語の京劇みたいなもの)を知る、なんてクラスもあります。
先週は中国茶クラスに参加しました。場所は、香港島の香港公園の中にある「お茶博物館」(写真上)の隣にある有名なお茶店の中でした。ここはカフェもあり、その脇でクラスが開催されました。1時間半ほど、中国茶の種類の説明と試飲がありました。
私は全く中国茶のことは知らないので、とても新鮮な経験でした。まず、お茶の種類が大別して6種類あるのですが、お茶を注いだ色で分けられています。発酵工程があるかどうか、その工程のやり方などもこの分類に関係します。
発酵なし茶は「緑」、弱発酵茶は「白」と「黄」、半発酵茶は「青」、全発酵茶は「紅」、後発酵茶(ワインのように年代物)が「黒」です。説明をしたおにいさんは、色を憶えるためには、「パンダ(白、黒)が、竹の葉(緑)をくわえて信号(赤、黄、青)をわたる」とかイメージするといいと提案してくれました。お茶の種類によって、お湯の温度もそれぞれ目安が違ってきます。発酵度の高いお茶は急須を使うのが普通ですが、緑茶や青茶まではフタつきの湯飲みを使ってお猪口サイズの小さな湯飲みにお茶を注ぎます。茶具も多種のデザインがあって、興味深いものがあります。
ちなみに、日本でも人気の烏龍や鉄観音は「青茶」に類別されます。プアールは「黒茶」です。
また、最初の一杯は捨てるのも中国茶の飲み方の基本です。一杯目を捨てることで、茶葉がふわっと膨らんで香りをだすのが目的だそうで、葉の汚れをとるという通説は正しくないということでした。中国茶の世界、深いものがあります。はまりそう。。。
Sunday, May 30, 2010
今日の一言@東京:The bride will keep her name.
東京に来ると、「Juneさんは結婚前の苗字を通称として使っているの?」と旧友や知り合いによく聞かれます。旧友らとホッピーを飲んでいたら、またその質問がでてきました。
私は結婚前の名前を堂々と使い、パスポートも当然、父のご先祖さまからの日本の名前です。ダーリンは自分の苗字を使っています。外国人と結婚した日本女性の場合、女性が自分の日本姓をそのまま使うことが法的に問題なく、むしろ、配偶者の外国姓に変更するほうが手続き上は手間がかかるのです。夫婦別姓議論を見るたびに、外国人と結婚した日本女性は堂々と法的に夫婦別姓なのに、日本人男性と結婚すると別姓には何故できなくなってしまうのか、不思議です。でも、日本人同士の夫婦別姓がむづかしいのは、戸籍が背景にあるからだと思います。
外国人は日本戸籍がないので、結局、日本戸籍のある日本女性のほうがそのまま日本姓を続けるチャンスがある、という仕組みなのです。
私は婚姻届を出したあと、父の戸籍から抜けて、自分の戸籍を独立して作ることになりました。外国人は戸籍がないため、私が戸籍を作って筆頭者、ダーリンは私の身分事項欄(情報としての備考欄みたいなもの)に登場するだけです。「○×国、なになにしかじかと、○×年何月何日に結婚」といった記述の「なになにしかじか」がダーリンで、戸籍上の記録は私の備考欄情報になるわけです。
余談ですが、日本で外国人と婚姻届を出すといろいろと外国人側の証明書類が必要で面倒です。でも、日本ではふたりが合意すれば離婚届けを出すだけの方法は、アメリカの男性が最も羨む簡易離婚システムです。ニューヨーク州では簡単に離婚できませんからねえ。
さて、アメリカでは結婚時に同姓、別姓、創作姓、と選択肢がありますが、けっこう多くの女性はご主人の名前に変更します。それで、別姓となるご夫婦の場合、地元新聞の結婚告知欄には、「花嫁は彼女の姓をそのままキープします」といった一言がよく見られます。
私はこの顔で外国姓になるのはいやだし、手続きも面倒くさかったし、結局、惰性でキープしてきました。
Sunday, May 23, 2010
今日の一言@東京: And they lived happily ever after.
今週末、東京に飛んできました。同期女性会○×周年記念パーティーがあったからです。花のキャリアウーマンとして仕事を始めた36人。そのうち20人がこのパーティーに参加しました。私を含めて海外在住組3人もかけつけ、22~23歳の春に初対面した同期の桜は、すぐに当時の思い話に花が咲きました。いまでも何かでつながっているような不思議な縁を感じます。
入社当時の全社平均女性勤続年数は、2.5年といわれていました。我が同期らは、その勤続年数を長期化させ、同期だけでみると平均勤続年数は5年。現在も6人が現役であります。ちなみに、私は15年勤続。私が最後の辞職者で、そのあとはこの6人が頑張っているのです。しかも、そのうち3人は結婚、子育てをしたというスーパーウーマン。
長い年月を超えても、すぐに昔に戻り、うわー、きゃーと大騒ぎ。同じ釜のめしを食った仲間、20人それぞれが様々な人生を歩んできたのだなあ、としみじみとする面もありました。苗字が何回か変わった人、もとに戻った人。。。キャリアが変わった人、キャリアを捨てた人、まだまだ現役の人。。。さらに、長女が現役の人のもとで働いている人までいたりして、笑いの絶えない3時間でした。
おとぎ話は、白雪姫にしても、シンデレラにしても、「そしてふたりは、いつまでも仕合わせに暮らしました」とハッピーエンディングでありました。私たち20人の多くは寿退社。そんな寿ハッピーエンディングは、実は別のBeginningであった、と実感する年齢になりました。
写真は全然関係ないですが、実家の私の部屋の前のベランダで母が育てているアマリリス。私の帰国に合わせたように満開となったそうで、今日も雨の中を凛として咲いています。
Monday, May 17, 2010
今日の一言@香港:This must be a dying profession.
このところ、週日はダーリンの仕事のために香港で過ごし、週末には深センに行く、という生活が続いています。近いとはいえ、なんとなく疲れがでたのか、私は体調が最低。先週は熱まででちゃって、香港でお医者さんにまで行く羽目になり、もう、最低。SARSでもSwine Fluでもなくてよかったのですが。
話は変わって、気に入っている長年愛用の傘の骨が折れてしまった場合、現代人は傘を捨てるのだろうか。私はそんな傘を2本持って捨てられずにいて、骨が2本も折れたままニューヨークではさしちゃったりしてます。それで、中国ならきっとどこかで修理をしてくれる人が存在するだろう、と思ってずっと探してました。
やっと、香港のミッドレベルの住宅地のど真ん中で見つけました。1947年からこの同じ場所で、ずっとずっと、傘修理の屋台で仕事をしているおじいちゃんでした。この日は、おばあちゃんも、一緒に屋台番をしていました。英語で全然話さないので、身振り、手振りでお願いし、おじいちゃんはすぐに私の傘の修理に取り掛かりました。(写真)
1時間後に戻ったら、きれいに修理されていました。おじいちゃんは、修理後の傘をまるで手品師のように、身振りいっぱい、笑顔いっぱいで開いて見せてくれます。職への誇り、自慢げなんですね。傘修理ビジネスも、こうゆう職人さんも、彼のあとは誰もいなくなるんだそうな、と淋しい気持ちにもなってしまいました。
傘2本で50香港ドル(約590円)。おじいちゃんとおばあちゃんの姿をみて、いつものなら値段交渉にギンギンの私も、とても値切る気がせず、新品のようになった傘2本を持ってルンルンの午後となりました。
Sunday, May 9, 2010
今日の一言@香港: What would Antonio Stradivari have said if he’d seen this concert?
8日土曜日は、香港中楽団(HK Chinese Orchestra)によるコンサートを行きました。「中楽団」というだけあって、このオーケストラはすべて中国楽器を使って中国音楽を演奏します。団員は70名くらいで、楽器と配置構成は、次のような感じです。
*二胡、高胡、中胡(バイオリンやビオラの位置)
*革胡(チェロの位置)
*低音革胡(コントラバスの位置)
*曲笛、高竿、新笛など(フルートやホルンなどの位置)
*さらに、太鼓やゴングなどパーカッションのほか、揚琴、琴(ハープの位置)やマリンバ、琵琶など
全部中国楽器でオーケストラ構成をしているのを見たのは初めてです。
今回のコンサートは、「上海之春」という特別公演で、プログラムの目玉は、諏訪内晶子さんのバイオリンによる「梁山伯興祝英台」(The Butterfly Lovers)の演奏でした。このプログラムは、香港のあと、15日には上海世界博コンサートとなります。
諏訪内さんの演奏は、素晴らしいものでした。むづかしい曲、極めて中国的メロディーを大胆に聞かせてくれました。The Butterfly Loversは、バイオリン協奏曲として作曲されたものではありますが、バイオリンが鳴き、こぶしっていうんでしょうか、中国独特のメロディーです。西洋楽器でもここまでの音が出るのだなあ、と感動でした。そのバイオリンはストラディバリウス
、1714年製ドルフィン(Dolphin)と呼ばれる名器です。かつて、バイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツ (Jascha Heifetz)が所有したこともあるものだそうです。
ストラディバリがこの演奏を聴いたら、何と驚いたことでしょう、なんて不思議な気分でバイオリンの音に酔いしれました。
Friday, May 7, 2010
今日の一言@香港:Pungency and spiciness of Sichuan cuisine
大衆的な四川料理の魚の丸焼き・スパイス浸け煮、とでもいうのでしょうか、いやあ、辛かったです。またしばらく香港にいることになりました。香港は広東料理が主流で、ここの四川料理はどうも辛さ度合いが広東人好みになって、本場物の辛さがない、と勝手に思い込んでいました。でも、この「巴蜀烤全魚」というお店では、唐辛子と花椒たっぷりで、舌がジンジンとピリピリ、の経験ができました。
食べたお料理、「泡椒味大邊烤魚」とは、まず魚の表面に香料と唐辛子べったり擦りこんでコンロで焼く、そしてそれを唐辛子と花椒の浮いた汁のお鍋で煮る、というものです。モヤシ、ネギ、えのき、といった野菜も追加して入れてもらいました。魚の種類は全くわかりませんが、白身でサッパリ系。川魚のはずです。おおざっばな料理ですが、美味でした。前菜には木耳の酢醤油サラダ(写真上)
さて、四川料理は、中国語で「川菜」と呼ばれているのは知っていたのですが、この「巴蜀」というのは初耳でした。好奇心から調べてみたら、これは現在の四川省あたりに、紀元前4世紀に存在していた「巴」と「蜀」という国のことを指すのだそうです。泰によって滅ぼされる前、これら2国は、漢字ではなくそれぞれ独自の言葉、そして文化を持っていたということでした。
「巴蜀」という古代の国の名前をうまく使ったお店だったわけです。食から学ぶこと、いろいろありますなあ。
Wednesday, May 5, 2010
今日の一言@深セン: How to spot fake antique pieces.
香港からEast Rail Line(東鐵綫)に乗って、約40分、34キロほど走るとLouhu(罗湖)駅に着きます。そこで香港側税関を抜けて、橋をわたって中国側税関を通過すると、深センの街にすぐに入ります。この2年で、何十回も橋を渡ったので、私のパスポートは香港と中国のスタンプがベタベタとついてしまって、余白のある残りページ数も少なくなってきました。
先週末から深センにおり、久しぶりにあちこち見て回りました。以前、ハイウエーから「古玩城・茶都」というビル看板を何度か見て気になっていたので、週末に行ってみました。ここは、骨董・古美術店とお茶・茶具販売店が何百と入っている2階建ての円形建物群でした。さらに、その円形構造物の中庭(甲子園の半分くらいの広さでしょうか)では、何百か何千か、という露天骨董品屋が、それぞれ一畳くらいの敷布の上にバザーのように骨董品を載せて売っていました。その規模の大きさと品物の数は圧巻です。
古い壷や皿(破片まで売っている!)、宋や唐の時代に埋葬品として埋められていた(はずの)調度品や像、または、18世紀とか20世紀の間の古い掛け軸や古本、宝石(主に翡翠)や調度品用の石、家具などなど。
どれが偽物か、どうやって見分けるのか。私には偽物と判断することはできませんが、どれも臭いんじゃないの??と疑ってしまいました。古い木のように見せる塗料や傷の後付けがはっきり見えるものがあるし、調度品やお皿のかけらには、土から取り出したように赤土がぬってありますが、どうも不自然です。私とダーリンは好奇心から、いろいろと手にとって見せてもらったのですが、首をひねるものばかり。高いものでも5000円、1万円くらいからふっかけてきますので、まあ、こりゃ偽物と思って楽しむほうがいいのでしょう。
もちろん、何も買いませんでしたが、こんな大規模な市場をつくっちゃって、こんなに多くの人がお店と露天を出しているのに、観光客は全くおらず、地元の人らしきお客がちらほらで、閑古鳥が鳴いていました。深センは、妙なものがある街です、ほんと。
Tuesday, April 27, 2010
今日の一言@香港: Do you eat soup or drink it?
香港に戻ってきてほぼ一週間、湿度は高いけど気温20度前後で、心地良くお散歩することができます。
1年の半分以上が暑い気候の香港、そして広東の人は、スープ好きです。暑いのにスープ?と思ったのですが、メニューの「湯」(スープ)のリストには、効用が書かれているあるものがよくあります。なるほど、医食同源でしょうか。
数日前に香港人に連れられて、茹で鶏肉料理(写真左)で特徴のあるレストランに行きました。これは、ニンニクと葱を擦って混ぜたような油につけていただきます。「海南鶏」といわれる料理と似ていましたが、茹で方が違うのか、皮の油がさっぱりしていました。
もちろん、「湯」が注文されました。ウエイターのおじさんがテーブルで個々のお椀にスープを注いでくれました。そして、あれ、中身の具も別のお皿に盛ります。中身は本物の材料が入っていることをしっかり見せると共に、好みで食べてもいい、ということだそうです。しかし、このスープ、お味はさっぱり系でしたが、真っ黒。ちょっと勇気がいる黒さです。具の味見をすると、黒鶏スープに、牛肉、それに何かわからない牛蒡のような根菜ものがたっぷり入って煮込まれたものでした。注文した人によると、その効用は、循環促進、疲れをとるとか。
スープは飲むものか、食べるものか。英語ではEatを使うことが多いのですが、きっとミネストローネのような中身たっぷり系スープが主流だからでしょう。コンソメで中身がなければDrinkでもいいようですが、スープといえば、やはりEatがすぐに頭に浮かびます。どっちがいいか、迷った時には、Haveを使えば楽なので、私はI had some soup at lunch. と、ごまかします。
香港のこのスープは、まさにDrink&Eatでした。
Wednesday, April 21, 2010
今日の一言@東京: An exciting exchange of brilliant minds took place 100 years ago.
東京滞在のほぼ2週間、雪が降るわ、冷たい雨に打たれるわ、と寒い春でした。離日前、晴れた今日、「渋沢資料館」(渋沢栄一記念財団:写真左)で開催中の「渋沢栄一とアルベール・カーン」展示(5月5日まで)を見に行きました。資料館は、北区飛鳥山公園の中にあります。飛鳥山公園は、大輪の白、ピンク、濃いピンクの八重桜がちょうど満開できれいでした。
昨年春に、パリ郊外のアルベール・カーン美術館(Musse Albert Kahn)に行きました。カーンは、フランスの銀行家でしたが、1908年から30年ごろまで世界各地に写真家を派遣して、膨大な映像記録を残した人です。以前から非常に関心のある分野であったので、そのカーン氏と渋沢氏には親交があったということをテーマにした展示はぜひみようと思ったわけです。
「渋沢資料館」では、カーンが派遣した写真家による写真と映像記録を通して、この大物の日仏実業家の生きた時代とふたりの交流を展示しています。ふたりが交わした英文書簡も数点見ることができました。渋沢サイン(漢字)の書簡、英語がうまい!(有能な秘書が書いたのかなあ?)
一方、カーン美術館で垣間見た1909年と1926年ごろの東京・丸の内(アムステルダムとデンハーグの風景の一部のようでした)や銀座の町並みの映像がもっと見られるかと期待して行ったのですが、写真と映像の展示内容は少なくてがっかりでした。しかし、私は渋沢栄一の生涯について無知であったので、じっくりと渋沢の常設展示内容パネルを読むことができたことは、今回の収穫でありました。スケールが大きく、視野が広く、世界を舞台にビジョンを持った実業家が19世紀後半から20世紀に活躍していたのですね。資料館のある飛鳥山は、渋沢の別宅でした。東京空襲で焼けず、西洋館「青淵文庫」(写真中央)と洋風茶屋「晩香蘆」が残っており、戦前の広大な庭園の様子がうかがえます。
王子のあたりに行ったこともなく、私にとってはどうやって行くのかも冒険でした。行きは京浜東北線で王子駅から公園を抜け、帰りは飛鳥山から都電にのって大塚駅まででて山手線のルートにしました。
東京最後の今日は、私の東京再発見の一日でした。
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