Thursday, June 17, 2010

今日の一言@深セン: The origin can be traced back to China.
















6月16日(水)は、端午節で香港も深センも祭日でした。え、端午節って、「端午の節句」のこと? 調べてみると、中国の端午節とは、日本の端午の節句は似て非なるものであります。

日本は明治維新後に新暦で5月5日となりましたが、中国では昔からの祭日や伝統的行事は旧暦を使っており、今年は6月16日が5月5日でした。ちなみに、中国本土では共産国となってからは文化的なものは長いこと廃止されていましたが、この10年ほどは中国古来の文化・伝統が見直され、2008年から端午節も国民の祝日の扱いとなったそうです。香港では中断なく、祝日として続いてきたようです。

さて、端午節は、紀元前「楚」の政治家だった屈原の死を記念する日といわれます。この日にはちまき(粽)を食べ、龍船(dragon boat)による競争レースが各地で行われます。そのルーツについては、いくつか説があるようです。有力なのは屈原の悲話にあるといわれます。屈原は失脚して川に身投げをしたのですが、楚の国民には人望が厚く、彼を悼んで川にご飯を投げたそうです。しかし、川の中で魚がそれを食べてしまうので、人々は竹皮などにご飯を包んで魚の餌にならない工夫をしました。それが粽のルーツとか。さらに、身投げした屈原を探してみんなが船を出したという話が、現在のドラゴンボートレースのルーツ、という説があります。

端午節の粽は、深センのジャスコにもありました!(写真) 香港でもこの数週間、あちこちのお店やレストランで独自の端午節の粽として販売されていました。もちろん、通常から粽を売っているお店もたくさんあります。ドラゴンボートレースのほうは、13日に香港島のある入り江でやっているのを見に行ってきました。(写真) 

ところで、日本の端午の節句は、旧暦の5月にもともと日本にあった全く別物である風習と結びついて、奈良時代に中国名の「端午」が採用された模様です。男の子の節句となるのは、鎌倉時代だとか。そのころから、粽も端午の節句に食べる習慣となったようです。

日本はその昔、中国から漢字と文化を大量輸入したとは知ってましたが、日本のものだと思ってた行事などもルーツは中国にあったのか、と驚くことがよくある今日この頃です。