Wednesday, September 10, 2008
今日の一言@ニューヨーク: The Tribute of Lights
今年も9.11が明日に迫りました。今日もあの日と同じように澄んだ青空。
昨晩、うちの南の窓から空を見上げるとWTC跡地から今年も青い2本の光が空に向かっていました。早速屋上に上って写真を撮ってみましたが、このカメラではほとんど写ってないですね。うちから現場まで約700メートル。
これはTribute of Lightsと名づけられ、二人のアーティストが構想を練って2002年に始まったものです。9月11日数日前から、マンハッタン南の空にそびえます。88個のサーチライトを使っているそうで、その青く、悲しい色の2本の光の柱は、また涙を誘います。
7年前のあの日、朝8時すぎダーリンを送り出して茶を飲もうとしていたらドーンという音が。気にもとめずにいたら、つけっぱなしのテレビからWTCに小型セスナかなにかが突っ込んだ、という臨時ニュース。窓から見たら本当に火の手が上がっていました。もう外ではサイレンが鳴り響きます。すぐに屋上に上って、あれあれ、こりゃどうやって消火するのやら、と見ている時にもう一方のビルが目の前で火の玉に飲まれてしまいました。北の方向から見ていた私には、南から突入した機体が全く見えず、大型時限爆弾か、と一瞬思ったと同時に、私は自分でも信じられないくらいの悲鳴をあげて腰を抜かしていました。
気持ちを整理しながら部屋に下りてきてテレビをみて、2機目の突入とわかり、他にも飛行機がペンタゴンに突っ込んだニュースを知りました。東京の両親が心配してるか電話をしたら、テレビを見ておらず、なんのことかチンプンカンプン。テレビをつけてしまってからは今度は逆に心配させてしまって、電話がつながりにくくなってさらに恐怖を煽ったようです。
テレビとインターネットで状況を見ていたのですが、みんな消火作業でなんとかなると信じていました。ひとりでも助かるように、逃げられるように祈っていました。ところが10時すぎにビル崩壊。うちは震度2くらいの揺れを体験。米国、世界各地からの友人らがつながりにくい中、電話してくれました。
午後マンハッタンへは立ち入り全面禁止になりました。ということはダーリンは帰ってこれない。ひとりでも大丈夫!私はいえを守る!という言い張る私でしたが、You have to be with meと説得され、午後6時、私はコンピュータと数日分の着替えをバックパックにいれてニュージャージーへ。
もう地下鉄もバスも全面停止となっており、34丁目の埠頭からハドソン川を渡る船に乗るしかありません。自転車で埠頭に向かう途中、マンハッタンはもうゴーストタウン。警察と軍隊、周辺の州から駆けつけたさまざまな制服のハイウエーパトロール警官まで街角に並び、厳重体制を敷いており、いくつかのビルの上にはスナイパー要員も。何回も警官に呼び止められ、あっちの道へいけ、こっちに向かうな、とみんなピリピリ。自転車をこぐうちに、知らず知らずに涙がぼろぼろ。いえを捨てて安全なところに逃げねばならない難民の気持ち、痛いほどわかりました。
そしてあれから7年、アメリカはまたすっかり変わってしまいました。
南の空に向かって合掌。