Sunday, May 30, 2010
今日の一言@東京:The bride will keep her name.
東京に来ると、「Juneさんは結婚前の苗字を通称として使っているの?」と旧友や知り合いによく聞かれます。旧友らとホッピーを飲んでいたら、またその質問がでてきました。
私は結婚前の名前を堂々と使い、パスポートも当然、父のご先祖さまからの日本の名前です。ダーリンは自分の苗字を使っています。外国人と結婚した日本女性の場合、女性が自分の日本姓をそのまま使うことが法的に問題なく、むしろ、配偶者の外国姓に変更するほうが手続き上は手間がかかるのです。夫婦別姓議論を見るたびに、外国人と結婚した日本女性は堂々と法的に夫婦別姓なのに、日本人男性と結婚すると別姓には何故できなくなってしまうのか、不思議です。でも、日本人同士の夫婦別姓がむづかしいのは、戸籍が背景にあるからだと思います。
外国人は日本戸籍がないので、結局、日本戸籍のある日本女性のほうがそのまま日本姓を続けるチャンスがある、という仕組みなのです。
私は婚姻届を出したあと、父の戸籍から抜けて、自分の戸籍を独立して作ることになりました。外国人は戸籍がないため、私が戸籍を作って筆頭者、ダーリンは私の身分事項欄(情報としての備考欄みたいなもの)に登場するだけです。「○×国、なになにしかじかと、○×年何月何日に結婚」といった記述の「なになにしかじか」がダーリンで、戸籍上の記録は私の備考欄情報になるわけです。
余談ですが、日本で外国人と婚姻届を出すといろいろと外国人側の証明書類が必要で面倒です。でも、日本ではふたりが合意すれば離婚届けを出すだけの方法は、アメリカの男性が最も羨む簡易離婚システムです。ニューヨーク州では簡単に離婚できませんからねえ。
さて、アメリカでは結婚時に同姓、別姓、創作姓、と選択肢がありますが、けっこう多くの女性はご主人の名前に変更します。それで、別姓となるご夫婦の場合、地元新聞の結婚告知欄には、「花嫁は彼女の姓をそのままキープします」といった一言がよく見られます。
私はこの顔で外国姓になるのはいやだし、手続きも面倒くさかったし、結局、惰性でキープしてきました。
Sunday, May 23, 2010
今日の一言@東京: And they lived happily ever after.
今週末、東京に飛んできました。同期女性会○×周年記念パーティーがあったからです。花のキャリアウーマンとして仕事を始めた36人。そのうち20人がこのパーティーに参加しました。私を含めて海外在住組3人もかけつけ、22~23歳の春に初対面した同期の桜は、すぐに当時の思い話に花が咲きました。いまでも何かでつながっているような不思議な縁を感じます。
入社当時の全社平均女性勤続年数は、2.5年といわれていました。我が同期らは、その勤続年数を長期化させ、同期だけでみると平均勤続年数は5年。現在も6人が現役であります。ちなみに、私は15年勤続。私が最後の辞職者で、そのあとはこの6人が頑張っているのです。しかも、そのうち3人は結婚、子育てをしたというスーパーウーマン。
長い年月を超えても、すぐに昔に戻り、うわー、きゃーと大騒ぎ。同じ釜のめしを食った仲間、20人それぞれが様々な人生を歩んできたのだなあ、としみじみとする面もありました。苗字が何回か変わった人、もとに戻った人。。。キャリアが変わった人、キャリアを捨てた人、まだまだ現役の人。。。さらに、長女が現役の人のもとで働いている人までいたりして、笑いの絶えない3時間でした。
おとぎ話は、白雪姫にしても、シンデレラにしても、「そしてふたりは、いつまでも仕合わせに暮らしました」とハッピーエンディングでありました。私たち20人の多くは寿退社。そんな寿ハッピーエンディングは、実は別のBeginningであった、と実感する年齢になりました。
写真は全然関係ないですが、実家の私の部屋の前のベランダで母が育てているアマリリス。私の帰国に合わせたように満開となったそうで、今日も雨の中を凛として咲いています。
Monday, May 17, 2010
今日の一言@香港:This must be a dying profession.
このところ、週日はダーリンの仕事のために香港で過ごし、週末には深センに行く、という生活が続いています。近いとはいえ、なんとなく疲れがでたのか、私は体調が最低。先週は熱まででちゃって、香港でお医者さんにまで行く羽目になり、もう、最低。SARSでもSwine Fluでもなくてよかったのですが。
話は変わって、気に入っている長年愛用の傘の骨が折れてしまった場合、現代人は傘を捨てるのだろうか。私はそんな傘を2本持って捨てられずにいて、骨が2本も折れたままニューヨークではさしちゃったりしてます。それで、中国ならきっとどこかで修理をしてくれる人が存在するだろう、と思ってずっと探してました。
やっと、香港のミッドレベルの住宅地のど真ん中で見つけました。1947年からこの同じ場所で、ずっとずっと、傘修理の屋台で仕事をしているおじいちゃんでした。この日は、おばあちゃんも、一緒に屋台番をしていました。英語で全然話さないので、身振り、手振りでお願いし、おじいちゃんはすぐに私の傘の修理に取り掛かりました。(写真)
1時間後に戻ったら、きれいに修理されていました。おじいちゃんは、修理後の傘をまるで手品師のように、身振りいっぱい、笑顔いっぱいで開いて見せてくれます。職への誇り、自慢げなんですね。傘修理ビジネスも、こうゆう職人さんも、彼のあとは誰もいなくなるんだそうな、と淋しい気持ちにもなってしまいました。
傘2本で50香港ドル(約590円)。おじいちゃんとおばあちゃんの姿をみて、いつものなら値段交渉にギンギンの私も、とても値切る気がせず、新品のようになった傘2本を持ってルンルンの午後となりました。
Sunday, May 9, 2010
今日の一言@香港: What would Antonio Stradivari have said if he’d seen this concert?
8日土曜日は、香港中楽団(HK Chinese Orchestra)によるコンサートを行きました。「中楽団」というだけあって、このオーケストラはすべて中国楽器を使って中国音楽を演奏します。団員は70名くらいで、楽器と配置構成は、次のような感じです。
*二胡、高胡、中胡(バイオリンやビオラの位置)
*革胡(チェロの位置)
*低音革胡(コントラバスの位置)
*曲笛、高竿、新笛など(フルートやホルンなどの位置)
*さらに、太鼓やゴングなどパーカッションのほか、揚琴、琴(ハープの位置)やマリンバ、琵琶など
全部中国楽器でオーケストラ構成をしているのを見たのは初めてです。
今回のコンサートは、「上海之春」という特別公演で、プログラムの目玉は、諏訪内晶子さんのバイオリンによる「梁山伯興祝英台」(The Butterfly Lovers)の演奏でした。このプログラムは、香港のあと、15日には上海世界博コンサートとなります。
諏訪内さんの演奏は、素晴らしいものでした。むづかしい曲、極めて中国的メロディーを大胆に聞かせてくれました。The Butterfly Loversは、バイオリン協奏曲として作曲されたものではありますが、バイオリンが鳴き、こぶしっていうんでしょうか、中国独特のメロディーです。西洋楽器でもここまでの音が出るのだなあ、と感動でした。そのバイオリンはストラディバリウス
、1714年製ドルフィン(Dolphin)と呼ばれる名器です。かつて、バイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツ (Jascha Heifetz)が所有したこともあるものだそうです。
ストラディバリがこの演奏を聴いたら、何と驚いたことでしょう、なんて不思議な気分でバイオリンの音に酔いしれました。
Friday, May 7, 2010
今日の一言@香港:Pungency and spiciness of Sichuan cuisine
大衆的な四川料理の魚の丸焼き・スパイス浸け煮、とでもいうのでしょうか、いやあ、辛かったです。またしばらく香港にいることになりました。香港は広東料理が主流で、ここの四川料理はどうも辛さ度合いが広東人好みになって、本場物の辛さがない、と勝手に思い込んでいました。でも、この「巴蜀烤全魚」というお店では、唐辛子と花椒たっぷりで、舌がジンジンとピリピリ、の経験ができました。
食べたお料理、「泡椒味大邊烤魚」とは、まず魚の表面に香料と唐辛子べったり擦りこんでコンロで焼く、そしてそれを唐辛子と花椒の浮いた汁のお鍋で煮る、というものです。モヤシ、ネギ、えのき、といった野菜も追加して入れてもらいました。魚の種類は全くわかりませんが、白身でサッパリ系。川魚のはずです。おおざっばな料理ですが、美味でした。前菜には木耳の酢醤油サラダ(写真上)
さて、四川料理は、中国語で「川菜」と呼ばれているのは知っていたのですが、この「巴蜀」というのは初耳でした。好奇心から調べてみたら、これは現在の四川省あたりに、紀元前4世紀に存在していた「巴」と「蜀」という国のことを指すのだそうです。泰によって滅ぼされる前、これら2国は、漢字ではなくそれぞれ独自の言葉、そして文化を持っていたということでした。
「巴蜀」という古代の国の名前をうまく使ったお店だったわけです。食から学ぶこと、いろいろありますなあ。
Wednesday, May 5, 2010
今日の一言@深セン: How to spot fake antique pieces.
香港からEast Rail Line(東鐵綫)に乗って、約40分、34キロほど走るとLouhu(罗湖)駅に着きます。そこで香港側税関を抜けて、橋をわたって中国側税関を通過すると、深センの街にすぐに入ります。この2年で、何十回も橋を渡ったので、私のパスポートは香港と中国のスタンプがベタベタとついてしまって、余白のある残りページ数も少なくなってきました。
先週末から深センにおり、久しぶりにあちこち見て回りました。以前、ハイウエーから「古玩城・茶都」というビル看板を何度か見て気になっていたので、週末に行ってみました。ここは、骨董・古美術店とお茶・茶具販売店が何百と入っている2階建ての円形建物群でした。さらに、その円形構造物の中庭(甲子園の半分くらいの広さでしょうか)では、何百か何千か、という露天骨董品屋が、それぞれ一畳くらいの敷布の上にバザーのように骨董品を載せて売っていました。その規模の大きさと品物の数は圧巻です。
古い壷や皿(破片まで売っている!)、宋や唐の時代に埋葬品として埋められていた(はずの)調度品や像、または、18世紀とか20世紀の間の古い掛け軸や古本、宝石(主に翡翠)や調度品用の石、家具などなど。
どれが偽物か、どうやって見分けるのか。私には偽物と判断することはできませんが、どれも臭いんじゃないの??と疑ってしまいました。古い木のように見せる塗料や傷の後付けがはっきり見えるものがあるし、調度品やお皿のかけらには、土から取り出したように赤土がぬってありますが、どうも不自然です。私とダーリンは好奇心から、いろいろと手にとって見せてもらったのですが、首をひねるものばかり。高いものでも5000円、1万円くらいからふっかけてきますので、まあ、こりゃ偽物と思って楽しむほうがいいのでしょう。
もちろん、何も買いませんでしたが、こんな大規模な市場をつくっちゃって、こんなに多くの人がお店と露天を出しているのに、観光客は全くおらず、地元の人らしきお客がちらほらで、閑古鳥が鳴いていました。深センは、妙なものがある街です、ほんと。
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