Sunday, October 9, 2011
今日の一言@香港: Stay hungry, stay foolish
9月22日からまた香港と深センにやってきました。
先週は、アップル信奉者でなくても、スティーブ・ジョッブ氏が亡くなったことは悲しいニュースでした。同世代であることが悲しみを深めているのかもしれません。癌によって闘病生活をしている間でも、情熱的に新しい製品コンセプトを常に考え、積極的に生きた姿には感動していました。命ある限り、情熱をもって生きることの重要さを体現することは簡単なことではありません。
香港のアップル店舗の前にもジョッブ氏を追悼する花や品物が供えられています。こうした現象を引き起こす経営者は他にいるでしょうか。彼は経営者、社長、ビジネスマンの枠を超えた存在であったことを今更ながら痛感します。
ニューヨークタイムズ紙の訃報記事を読んでみて、ジョッブ氏の生い立ちを初めて知りました。彼は、アメリカ人女性とシリア人学生(のちに政治学者)との間に生まれた私生児で、生まれてすぐにジョッブ家に養子として迎えられて育ったのだそうです。決して裕福ではないジョッブ家で、彼は小さい時から独立心旺盛で新しいことに挑んできたようです。自分の情熱にいつも駆り立てられて、新境地を開拓してきた人生だったのだなあ、と思います。
2005年にスタンフォード大学の卒業式で、彼が祝辞をした中で有名な一節があります。
Stay hungry, stay foolish
物心がある程度満たされるとハングリーであり続けるのは簡単ではありません。Foolishは、人からバカか、頭おかしいんじゃないか、なんて言われようともいいじゃないか、馬鹿げていることも大事なんだということだと思います。馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったものです。夢を現実にするには、ハングリーな精神と馬鹿げた発想が必要なんですね。
Sunday, September 11, 2011
今日の一言@ニューヨーク: We will never forget.
10年目の911は、あの日を彷彿させる警戒網で町中がピリピリしていました。あの悲しみは決して忘却には去らないものです。朝8時すぎからテレビで記念式典を少しみて、10時すぎに外にでてみました。うちのアパートのある通りから南に少し歩くと、そこから道路は封鎖されてNY警察の車やNY警察SWATチーム車が厳重な警戒にあたっていました。歩く道路のあちこちの角には、制服と私服警官、消防隊員などが警備に立っています。
ハドソン川沿いに走るウエストハイウエーは交通封鎖をされていてガラガラ。ニューヨークと近辺から様々な制服の警官、特別警察隊などがライフルを抱えて歩いて警備をしており、あの10年前の光景が昨日のように戻ってきました。ナップザックに身の回りのものを詰めて、自転車にのって、止まらない涙で前がよく見えないまま、この道を北に走った10年前の私が目に前に現れるようで、また目頭が熱くなりました。
ハドソン川沿いの公園の歩道を南下していくと、軍艦USSニューヨークが停泊していました。この軍艦にはWTC残骸からの鉄が再利用されているそうで、今日はこの軍艦もWTC跡地から数百メートルしか離れていない場所で式典を見守っているのでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/USS_New_York_(LPD-21)
United We Stand、10年前のようにまたアメリカがひとつになった一日でした。
Monday, September 5, 2011
今日の一言@パリ: Lovely small museums where artists once lived
8月下旬からパリに来ています。すでにパリは過ごしやく、秋の晴天のような日が続いています。室内にいるのがもったいない、そんな日には2時間もあれば全部みられるプチ美術館を巡るのも楽しいものです。
パリには、かつて画家が住んでいた家がそのまま国またはパリ市に寄贈されて、美術館となっているところがいくつかあります。有名なのはロダン美術館ですが、今回は、もっと小粒な美術館、グスタフ・モロー(Gustav Moreau)美術館に行って見ました。特にモローの絵が好きというわけではありません。ギリシア神話や聖書に基づく幻想的な作風を持つモロー、実はどちらかというと私の趣味ではありません。むしろ、お宅拝見!といった軽いノリで出かけてみました。
モローは生涯独身で、60歳くらいから自宅とアトリエを改造し、将来的に美術館として開放することを計画しました。これはフランスの芸術家では初めてことでした。1897年、モローは遺言において自宅・アトリエすべてをフランス国家に寄贈する形で、美術館の開設することを明記しました。しかし、フランスの一部ではこうした前例を作ると他の芸術家が続くことになったらどうするかという懸念する声が挙がり、数年にわたって遺言の法的執行人が交渉を続けて、1903年に美術館開設の運びとなったそうです。
モローの自宅はパリ9区の整然とした住宅地にある4階建ての一軒家で、2階までが住居として使っており、3階と4階は自然光が降り注ぐアトリエとなっています。そこは今では数多くの作品が展示されるギャラリーとなっています。スケッチから大作まで、モローの幅広い作品を見ることができ、モローの好んだ装飾品や食器もそのまま展示されており、ゆっくりと解説を読みながら隅から隅までみて2時間弱でした。
Thursday, July 14, 2011
今日の一言@ニューヨーク: The Freedom Tower goes up in the air.
一点の曇りもない透き通るような青い空。しばらく暑い日が続いていたところ、今日は7月の今頃にしてはめずらしく、秋のような爽やかな空気です。
ニューヨークに戻ってから、しばしば南の空を見上げています。ワールドトレードセンター第1ビル(通称フリーダムタワー)が、どんどん高くなって空にそびえるタワーの姿になってきました。先週撮った写真(右)をみると、アングルが違いますが4月の写真からの進捗が分かります。(やはり同じ場所から撮らないと比較しずらい!)
既に72階以上の鉄筋組み立てが進んだそうです。2013年の完成予定、地上105階が展望台となるそうです。実は私はニューヨークのエンパイヤステートビルに一回だけしか登ったことしかなく、今はなきワールドトレードセンターの展望台には行ったことがありませんでした。いつでもいけるから、まあいいか、とずっと思っていたのです。今度は出来たら一度は行ってみるか、という気分です。
さて、ワールドトレードセンター跡地には、この第1タワーのほかに第2、3、4のタワーが計画されています。しかし、この10年にはリーマンショックと景気後退。その影響で計画は何度も変更を経て、いまだに第2と3タワーの最終的な高さは決まっていません。こちらはまさに、The plan is up in the air. (計画は宙に浮いている状態)
一方、このフリーダムタワーと911犠牲者記念公園と記念館は、先に詳細が決定されて工事が進んでいます。今年はあの惨事から10周年となるため、それにむけて記念公園と記念館は完成します。
Friday, July 1, 2011
今日の一言@深セン:Dreaming of the Silk Road
新疆ウイグル自治区出身の人たちが多く住む地域があります。漢族と見ためがあまり区別つかない人もいますし、トルコ人のような白人系やアラブ系の風貌の人もいます。街ではよくウイグルの男性が荷台でナッツやナッツヌガーなどを売ってます。
ウイグル族はイスラム教徒のため、この地域では「清真」(ハラール:イスラム法上で許される食品)とマークのついたレストランがあります。私たちはしばしばそうしたレストランで食事をします。お目当ては羊肉や野菜のバーベキュー、そしてパンやピザ系の料理です。数年前に初めて深センに来てから、2週間に一度はご厄介になっているレストランが数箇所あります。
先日は、羊肉のひき肉詰めパイ、子羊肉バーベキューの載ったピザ風仕上げ(厚手のピザ生地で、どちらかというとパンでした)、そして炭火串焼き(羊肉、洋茄子、獅子唐)を食べました。18センチくらいある洋茄子は半分に割いて、その上にガーリックと赤唐辛子ドレッシングがたっぷりかかっていました。
「清真」のレストランでは、地元に住む家族らしき顧客以外にも、旅行や商用できている中東の人やインド人のお客さんを多く見かけます。男性が水パイプをくゆらせることができる別室を持つレストランもあります。
地続きで中東から中国へ、中国から中東、欧州へと人と物が流れたシルクロード。数千年後の今、深センが「21世紀のシルクロード」の拠点のひとつなんだなあ、と感慨にふけたりする夕食でした。
Tuesday, June 28, 2011
今日の一言@深セン:Is it worth 10 yuan?
深センの物価上昇は、目を見張るものがあります。2年前に比べてスーパーの食品などは10%から20%の値上がりしています。レストランやカフェでも値段が上がりました。とはいっても、東京やニューヨークに比べればまだまだ安く、高級レストランでふたりで飲茶をして7~8品を頼むと150~200元(1800~2000円ちょっと)といったところです。中華レストラン(海鮮料理は別ですが)でふたりで300元も使えば、かなり豪勢な夕食ができます。
さて、10元(約125円)で何が食べられるでしょう。10元払う価値があったかな。
1.マックカフェ(McCafe)の上質アメリカン・コーヒー(小)一杯。思ったより不味くないです。スタバのブレンドコーヒーが22元ですから、Value for moneyと言えるかもしれません。バナナマフィンは12元もしましたが、これはいただけないお味。
2.カフェテリア方式レストラン(中国語で「自助餐」)で、ごはんと野菜炒め3種類をとってランチの合計9元。ちょっと油っぽいですが、ナスのひき肉炒めは赤唐辛子がピリッときいていて悪くないお味。
3.小型のスイカ1個。これは「黒美人」というスイカの種類で、広東省など南部に多く見られるものです。(手前のアメフトのボールのような楕円形のもの)
ちなみに、タクシー初乗り料金が10元(プラス、3元の燃料サーチャージがこの春から適用されるようになりました)、ワイシャツやブラウスのクリーニング代が10元、地下鉄の数駅までの最低料金は2元。一方、日常的な食品でもミルク類や果物は贅沢品なのか価格が高く、牛乳(950ml)が13~15元、桃や枇杷、リンゴなどは500グラムで20元近くします。季節によって500グラムが10元を切る果物にはスイカやみかんなどがあります。
工員や給仕係の月収は1600~2000元、新卒の事務系が3000~4000元と上昇してきている今日この頃ではありますが、お給料が2000元の人にとって10元の重みは、日本円だと20万円で1000円の感覚です。そう考えるとマックカフェのコーヒー10元は決して安くはないですね。
Thursday, June 23, 2011
今日の一言@深セン:Enjoy a diverse variety of Chinese foods.
深セン市は、広東省にありながら広東省出身者はマイノリティーです。そのため、街では広東語はほとんど通じません。さらに、広東料理レストラン以外の非常に様々な種類の中国料理を楽しめる点も、お隣の香港とは大きく違うところであります。
5月に発表された深セン市統計局による人口調査では、全人口1035万人のうち湖南省出身者が118万人、湖北省出身者が81万人とトップ、続いて広西チワン族自治区、四川省、江西省、河南省と続き、広東省の出身者は50万人にも達していないという報道がありました。深セン市は鄧小平によって進められた経済開放政策の特別区として、中国各地からの野心のある起業家を集めてきた人工的な大都市なのです。
さて、街を歩くとよく見かけるのは、やはり出身者が多いためでしょうか、川菜(四川料理)、湖南菜(湖南料理)。もちろん上海菜や広東菜もあります。昨日は東北菜(北京以北の北東部)のレストランに行ってみました。
「東北人」というレストランチェーンで、そこでは餃子や肉マン、ピロシキのような面包系の中身や形が様々な種類が豊富にありました。写真の蒸餃子は、白菜とひき肉入りですが、芹とひき肉、韮とひき肉など数種類あります。また、羊肉や牛肉と野菜が詰め物のピロシキのような一品も取ってみました。小豆のあんこの甘い種類もあります。また、木耳サラダもコリコリっとして夏のサラダという感じです。さらに酢豚風の主菜と「涼皮」を注文。「涼皮」は米粉を糊状にした生地を円形(半径25センチくらい)に薄く伸ばして蒸篭で蒸し、透明感のあるクレープのようになったら数枚づつ重ねて1センチくらいの幅にザクザクと切ったものです。冷し中華のようにキュウリの千切りやバクチーなどとラー油をからめて食べることが多いようです。このレストランの涼皮にはキュウリやハムなど具が豊富に入っていて大変に美味でした。もともと涼皮は陝西省のもので、秦始皇帝のころ、紀元前3世紀にはあったといわれています。2000年以上前の長安の都に思いをはせ、プリプリとした固めのゼリーのような食感を楽しみました。
Friday, June 10, 2011
今日の一言@深セン:A long way to go...
渡り鳥のような生活は今年も続いています。2月に香港を引上げてしばらくニューヨークに戻ったのですが、4月下旬からまた深センの生活をしています。
今回、中国語の個人レッスンを週に2回づつ受けることにしました。漢字を見ればある程度は意味がわかる強みはあるものの、簡単な日常会話さえ全くわからないのは生活に楽しみがありません。耳のいいダーリンはどんどん音だけで単語と文章を吸収して会話ができるようになっているのをみて、ちょっとライバル心がでてきたともいえましょう。
一念発起!したものの、ヒアリングの悪さと発音のでたらめさには我ながら呆れます。
こんなことがありました。深センにはワンマンバスばかりではなく、車掌のおねえさんが乗っているバスがまだ走っています。それに乗り込んでしまい、私は行き先を伝えて料金を払って座りました。漢字を書いて見せているばかりじゃ芸がない、と思ってきちんと行き先の停留所名を言ったわけです。しかし、しばらくして車掌さんが話かけてくるのです。なになに??全然わかりません!仕方なく、英語に切り替えて質問したら、バス中の乗客の視線が私に集中してきて、うわあ、どうしよう。。。
ニーフエ インユー マ?「称会英語マ?」(英語話せる?)と彼女聞くとブーフエ!「不会」(できない)
それを聞いた乗客の若い女性が助け船を出してくれて通訳をしてくれました。車掌さんは私の行き先はすでに2つ前の停留所だけど、あなたはいったいどこに行くんだ、と言っていると判明しました。
私は終点まで行くので大丈夫と伝えてもらい、料金不足は払います、と通訳してもらったら、メイ グアンシー「没関係」(気にしないでいいよ)。こうゆうところ、中国人は鷹揚です。
しかし、レッスンでちゃんとその停留所の発音練習したのに通じてなかったという事実に愕然。。。中国語の基本の習得は長い道のりとなりそうです。
[写真は、レストランのテーブルにあった花瓶、よくみると水の中で小さな金魚が泳いでいます]
Thursday, March 3, 2011
今日の一言@ニューヨーク: We are social animals.
2月初旬からニューヨークに帰ってきましたが、毎日があっという間にすぎてしまいます。ほぼ4ヶ月も留守にしていたので、友人と会食にいったり、美術館やギャラリーに行ったり、と寒い中を飛び歩いて楽しんでいます。やはりニューヨークの友人のネットワークはいいなあ、なんて、香港と中国では「孤児」になっている私には嬉しい時間が流れています。人間は社会的動物、むかしThe Social Animalという社会心理学の本を教科書で読んだけど、ふっとその行動パターンを思い出してしまいます。
ソーシャルネットワークは架空の世界にもこうしてできているのに、目の前にある世界が忙しくなると、私は後者で手一杯になってしまいます。マルチタスクの人間ではないので、また日記幽霊部員になってます。でも、私だけでないみたいですね。私の友人リストの半分以上の人は、幽霊部員ではありませんか!?すでに「幽霊退治」をされて私も削除されちゃったかもしれませんが、私の友人リストも「あの人は今どこに?」シリーズができるような感じです。淋しいなあ。
Sunday, January 23, 2011
今日の一言@香港:Auspicious foods, signs and happy colors
アレ、もうEaster Bunnyがでてきたの?と立ち止まって、はっと気づいたら、Chinese New Yearか!旧正月が来週に迫っているのでYear of Rabbitのうさぎの飾りつけでした。香港のブランド店が立ち並ぶショッピングモールのうさぎは、どうもウサギ年のイメージからほど遠い姿です。
今年の旧正月は2月3日。1月30日の週末から2月8日までは春節休暇で、中国本土のほうは民族の大移動となります。香港の人は、海外旅行に行く人も多く、日本のゴールデンウイークみたいな面もあります。一方、お正月にはギフトを送ることが多いようで、日本のお歳暮のようにお菓子やフルーツ、縁起のいいお正月の食べ物がパッケージされて売られています。子供たちはお年玉をもらえるので、文房具屋さんやスーパーにも赤いお年玉袋が沢山並びます。そして、レストランにも銀行にも、スーパーにもあちこちに恭喜發財、年年有餘と書かれた垂れ幕、赤い提燈やらが飾り付けられています。そうそう、たわわに実った金柑をびっしり付けた金柑の木、これも人気の飾りつけです。たしかに、黄金の小判のなる木みたいに見えます。
旧正月の時期に香港、中国にいたことはなかったので、今回は香港のレストランでおめでたい、縁起のいい食べ物づくしの特別メニューを、と思っていくつかのレストランに電話をしたら、もう満席でどこも予約がはいらないという状態でした。ああ、すっかり出遅れました。
Monday, January 10, 2011
今日の一言@香港: My new year resolution
12月下旬から年始まで東京の実家に行ったのですが、春のような香港から行くと東京の寒さはつらいものがありました。もともと、極寒のニューヨークから東京に行っても、東京の古い家での冬は苦手です。部屋を暖房していても、トイレやお風呂場が寒いからすぐに風邪をひいてしまうのです。長年、アパート全体が暖房ポカポカの生活に慣れてしまった私は弱体化しているので、東京ではしっかり風邪をひきました。
鼻水、くしゃみの中、ご近所のお寺で除夜の鐘をつかせてくれるというので、ダーリンと一緒に30分ほど並んでGong!と祈りをこめて打ってまいりました。今年はやるぞ! え、何を?
ということで、「5年運用日記」を初めて買って元旦から記入を始めました。3年、5年、10年とあったのですが、ひとまず5年でやってみようと、これが私の新年の抱負です。長期運用日記って日本にしかないアイデアです。「2年前のお正月ってどこにいたっけ?なにやったっけ?」なんて会話をダーリンとしたのがきっかけで、日本には10年日記とやらがあるからそれをつければ、ほいほいとすぐにわかるな、と思ったわけです。
毎日、数行でいいから大丈夫だわ、と久しぶりにペンを持って紙に向かうと、やはり漢字がうまく思い出せない、書けなくなっている、という衝撃の連続です。だからこそ、やるぞ、今年から!
3日坊主の壁は既に破りました。5年後はすごく遠いような、近いような。。。空欄の5年後を眺めてちょっとスリルを感じます。
Subscribe to:
Posts (Atom)