この週末は友人のパリジャン(Parisian)に誘われ、ご家族で週末を過ごす田舎のセカンドハウスにお邪魔しました。パリのアパートでは自然が楽しめないので、お子さんが小さい時、24年前に購入したそうで、車でパリから東へ1時間ほど走った農村地域の田舎風の家です。蔦と藤がからまり、ちょうど藤の花が満開でした。(写真左、右) 裏は林でその5ヘクタールを所有していると聞いてびっくり。500メートル四方が全部自分のもの、お隣やご近所がまったく見えないわけです。
パリから1時間強、そこには肥沃な平野が広がる畑が延々と続き、この地域では菜の花(油をつくる)、豆類、とうもろこしが主な農産物だとか。ここからさらに30分ほど南東に進むとなだらかな丘陵の地形となり、シャンペーン産地エペルネ(Epernay)となります。
土曜日はお天気に恵まれ、シャンパンとワインでお庭でバーベキューをし、近くの菜の花畑や林を散策。そして日曜は中世に栄えた町、プロバン(Provins)に行きました。10~13世紀にシャンペン・ティボー卿が交易の中心地にした城壁に囲まれた町で、テンプル騎士団の発祥地でもあります。ティボー卿も十字軍遠征に参画し、ダマスの薔薇をプロバンに持ち帰ったそうで、今でもその薔薇がこの町のシンボルにもなっています。
テンプル騎士団は軍事組織であると共に、交易による富の寄進による資産を背景とした金融組織と発展し、フランス王国を軍事的、財政的に支えました。これが悲劇の始まりで、13世紀にはプロバンも歴史からその名が消えました。つまり、フランス王はテンプル騎士団に巨大な借金をし、首が回らない状態まできたわけです。フィリップ4世は債務帳消しをはかってテンプル騎士団の壊滅を図ったといわれる所以です。異教のレッテルのもとにテンプル騎士団は逮捕、財産没収、最後の騎士団総長は1314年処刑となっています。
テンプル騎士団の町プロバンには、ベトコンもびっくりの地下道があちこちに作られ、交易で運び込まれた物資が倉庫として地下に保管されました。地下道と地下倉庫の一部は今でもガイド付きで見ることができます。金銀財宝も眠っていたのをフィリップ4世は見つけられず、今でもどこかにあるのは?という噂があるそうです。
テンプル騎士団の話は「ダビンチコード」などの小説にも使われて、今でもその謎とロマンに満ちていました。プロバンの情報は英語ですが、次にあります。
http://www.provins.net/anglais/default.htm