Tuesday, May 12, 2009
今日の一言@イスラエル: Archaeological attractions reveal long-lost civilizations.
テルアビブから電車に乗ってハイファに行くことにしたので、途中でセザリア(Caesarea)というローマ時代からの遺跡の残る国立公園に寄りました。地中海に面したセザリア国立公園で入場料(約1200円)を払い、発掘された様々な遺跡を5時間くらいかけて歩き回りました。
まずビジターセンターで歴史紹介ビデオを観ました。紀元前5世紀くらいからフェニキア人による集落があったようですが、セザリアが繁栄したのは紀元前30年以降、ローマ帝国による都市計画で大型の港湾設備のある港町となってからでした。ローマ帝国にこの地域統括者となったヘロッド(Herod)は、アレキサンドリアのような大都市を目的とし、入り江もなく平坦で浅瀬の海岸に当時のエンジニアの最新技術を駆使して船着場のある港湾設備を建造し、この新都市をシーザーにちなんでセザリアと命名。神殿をつくり、帝国運営のための各役所建物やホール、円形劇場、競技場、ローマ風呂施設、そしてアクアダクト(水路)などを次々に建設しました。競技場では馬車走(Chariot)やグラジエーターと野獣戦などが行われ3万以上の観客収容規模であったそうです。(円形劇場のほうは現在は修復されてコンサートやダンスパーフォーマスなどを行う野外ホールとして利用されています)
さて、ローマ帝国崩壊によって4世紀から7世紀にかけてビザンチン時代を迎え、セザリアの神殿はビザンチン教会となります。大きな防塞が作られてさらなる繁栄を続けます。7世紀半ばにアラブ軍が攻めてきてセザリアは壊滅。9世紀にはアラブ人の交易の港としてまた防塞が作られて町が形成されますが、11世紀に十字軍がそれを征服します。13世紀前半、フランスのルイ9世のもとセザリアは要塞となります。そして1265年、トルコ系勢力圏マメルーク(Mamelukes)によって十字軍は滅ぼされ、そのあとセザリアは歴史から姿を消します。
セザリア遺跡は19世紀末に発掘が初めて始まりました。20世紀にはいってこの一帯をロスチャイルドが購入して遺跡保護をすると共に、別の内陸地帯にはセザリアの町つくりが始まったというこでした。現在、セザリア内陸部にはハイテクパークや産業地区がひろがり、海岸に近い地区にはイスラエルで一番古く有名なゴルフコースがあります。
写真左、ローマ時代のアーケードに使われたコラム、地中海を背景に美しいシルエットです。
写真中央、十字軍時代の防壁、ローマ風呂の公共ホールや施設。床一面に広がっていたのは大理石や美しいモザイクだったようです。多くのモザイクがあちこちあり、観光者がその上を歩いてもOKというのが少々驚きでした。
写真右、公園内は6つほどのレストランがあり、結婚式などもできるホールと施設を完備。ランチに私たちはオリーブと中近東風香辛料ソースを使ったホタテ貝のソテー、スズキのような白身魚のグリル、各種前菜小皿などを地中海を見ながら楽しみました。トルココーヒー(Turkish Coffee)も美味でした。